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道徳の教科化答申 [シルバーウィングでGO]

中央教育審議会が道徳を教科に格上げするように答申した。4年後から実施されるそうだ。
「日本を取り戻す」というフレーズが好きな安倍首相の指示によって文部科学大臣が諮問したので,中教審もその意向に沿った答申をした。
さて,道徳教育の教科化については3月にも書いたが,本音を言うと疑問だ。教科化したことによって子供たちの道徳的心情が改善されるとは思えない。
道徳が「授業」に格上げされれば,頭のいい子はどう答えれば先生が満足するかすぐに見つけるだろう。教師は授業で「いい答え方」をする子供を誉め,ほかの子供たちにも同じようにしようよと働きかけるだろう。
学校と言うところは,元々知識やものの考え方を整理し,筋道立てて考え,覚えるように教えるところだ。道徳について言えば,例えば人を傷つけること,盗むことはなぜ悪いことなのか理由を明確にして,子供に理解させることになる。なぜ人に親切にする方がいいのか,なぜ生き物を大切にしなければならないのか,子供に分かりやすく理解させ心に刻ませることだ。しかし,一人一人の子供がみんな同じ感性を持っているとは限らない。道徳の授業でいいことを言っても,万引きしても捕まらなければいいと思う子供はたくさんいるし,気に入らない相手に暴行を働く子供もあちこちにいる。彼らの感性は,学校教育以前にほぼ完成されてきたからだ。良い,悪いの「感性」はおそらくは殆ど幼少期に身についたものだ。三つ子の魂百までとはまさにこのことを言っている。
では,道徳は不要かと言えばそうではない。やはり,多くの事例を示し,子供達一人一人に考えを深めさせる時間を設けることは子供達の成長には必要だ。ただし,教科として設定するのではなく,読書やボランティア活動,制作活動,動植物の飼育栽培活動,社会問題についての討論会など,時宜にふさわしい総合的な教育活動として編成したほうがいい。教科化すると,逆に文科省が心配している画一化が一層進むだろう。え?文科省のねらいは画一化か?。まさかとは思うが。
さて,教育は人間が人間に影響を与える営みだ。親のものの考え方,指導する教育者の人間性にふれた子供が自然に陶冶される過程だと言っていい。「教育は人なり」という言葉は至言だと思う。人間味あふれる教員を見つけだすことが一番だと思うが,人間味あふれる教員の選考もテストだからなあ。

誰が書いたのやら,公園の滑り台への落書き。書いたのは女の子らしいなあ。
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