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光秀の定理 [シルバーウィングでGO]

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垣根涼介の「光秀の定理(レンマ)」を読んだ。若き剣術家の玉縄新九郎と僧の愚息を語り部的に話しを進め,最後に明智光秀がなぜ本能寺の変に走ったか作者なりに解き明かそうとした小説だ。
話しの大まかな流れは,史実を踏まえている。そこに,架空の剣術家玉縄新九郎と僧の愚息が登場し,光秀や細川藤孝との交流が始まる。光秀はこの二人ともかかわりながら信長に仕え出世街道をばく進する。
玉縄新九郎は頭の冴えは愚息ほどではないが剣の道が好きだから,剣の奥義を極めようと命をかけ,名人上手になって道場を開く。
愚息はインテリだがただのインテリではなく野にあって自由に生きようとする僧だ。釈迦の教える仏法に学ぶのを生き甲斐とし,新九郎だけでなく光秀にも大きな影響を与える。
光秀の行動原理は新九郎や愚息とは異なり,自分は本来こうありたいではなく,こうあらねばならぬ,あるべきだったという血統の義務であって,成し遂げたとしても心に残るのは安堵感であり心の底からの喜びではなかったと作者は推測する。また光秀は官僚的な優秀さを持ち合わせているが,根本的には優しさに溢れた田舎者である一方で,杓子定規で融通が利かない性格だったと見る。光秀は比叡山の焼き討ちでも信長に中止を諫言はしているが,命令された虐殺の実行は忠実に行った。逆に秀吉は諫言はしなかったが僧侶をこっそり逃がしている。その生真面目な性格が光秀自身を良心の呵責に追い込む。だから信長の取り立てにより大身になったがそれを心の底から喜んではいなかったのではないか,と作者は考える。
光秀が最も危惧したのは信長が朝廷を廃して自らが皇帝となることだ。幕府も朝廷も利用して使い道がなくなれば,遠慮なく放逐するだろうと光秀は思ったわけだ。本能寺の変を引き起こしたのは信長と光秀の歴史の見方,朝廷に対する考えの違いにあると作者は思った。
なお,信長と光秀は現実には主と従だが,本来の精神性では対等という意識が光秀にあったとすれば,そのことを徹底的に嫌う信長を討伐することは理にかなったことだったと考えたと作者は捉えたわけだ。
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