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津波の高さ [シルバーウィングでGO]

玉川の妹の家では朝食は7時を過ぎる。新聞も遅いので,6時過ぎから外を歩くことにした。最初の日に向かったのは玉川の小さな港である。すぐ側には西行屋敷もある。
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港の建物は全て何も残っていなかった。多分そうだろうと思ってはいたが,前からそんな風景だったと錯覚させるほど見事に何もなくなっている。港の中心部には大きな重機が折り重なるようにして横たわっている。
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側の西行屋敷に上る小径の手すりはごぼう抜きされたように根本から飛び出している。途中には木の枝が引っかかっていて,その間をくぐり抜けるように上らねばならなかった。
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上って驚いた。津波はこの高さまで上がってきていた。大きな石碑が津波に押されて横倒しになっていた。お堂の近くまで木の枝が散らばっており,ただの波しぶきが上がってきたのではないことを物語っている。
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翌日にはその先の陸中玉川駅の近くで地元の人に会った。その人は地震の時に駅の近くにいたと言うことだった。遠くの波を見ていると,久喜と呼ばれるその先の三崎に打ち上がった波頭が岬の4分の1ほどにまで上がったという。あのあたりは何度も行ったことがあるので知っている。海抜で200メートルはあるはずだ。その4分の1というと50メートルにはなってしまう。その男性はその位置ではは危ないと判断し駅のホームまで駆け上がったという。
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津波が押し寄せたとき,ホームには何人もの人がいたそうだが,一部の人がかなりの波しぶきを被ったそうだ。ホームのすぐ側まで波がやってきて,フェンスを押し倒していた。
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玉川からお袋様の家までは4キロほどある。泥にまみれたお袋様の自転車を兄の長男がきれいに掃除をして乗れるようにしてくれたので,その自転車で行き来することにした。そう,87歳のお袋様は今でも自転車に乗っているのだ。
しかし,国道45号線を自転車で走るのは勇気が要る。というより危険だ。瓦礫を運ぶ大型のダンプカーがひっきりなしに走っている。場所によっては危険防止のために道路の両側が狭くなっている。
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野田地区と玉川地区の境のあたりで小山がかなり上まではげ上がっているところがあった。津波が,生えていた松林をなぎ倒したあとだった。あんな高さまで押し寄せたのかと半ば信じられない思いだ。すぐ下の家は当然ながら押し流されて壊滅している。この光景を初めて見た人はそのすさまじい津波の恐ろしさに皆驚き,この山向こうの瓦礫の山に涙するだろう。
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