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震災の地の友 [シルバーウィングでGO]

野田村には中学高校からの友達もいる。中には,津波で完全に家を失った友もいる。肉親を失った友もいる。
誰がどうしているかを知ろうと役場の避難者名簿を調べても,親しい友達の名前は僅かだ。ある友達は,お寺にいると書いてあったので行ってみると,自分の家に戻っているという。自転車で駆けつけると,自宅はかなりの高さまで浸水はしたものの,流出は免れたようだ。彼は,深刻な様子で携帯電話で誰かと話をしている。だいぶ込み入った話らしい。電話が終わって,少しだけ挨拶をしてその場を辞した。懐かしさだけで訪れても迷惑になるだけの場合もあるらしい。
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お寺近くの家の庭先で電話をしていた別の友人にも会えた。「今,あいつと話をしているところだったよ」と携帯電話を私に渡してくれた。
電話の主は,中学高校と非常に親しくしていた友達だった。卒業後,地元の役場に勤めたが,運悪く脳出血で体の自由を失った。
「おいおい,お前のことだから,こんなことになってしまって,死にたいとか死ぬとか言ってるんじゃないのか」
「相変わらず口が悪いな,お前は」
彼の自宅は完全に流出し,どこにあったかさえ分からない。今は中学の後輩の所に身を寄せているということだ。
携帯電話を貸してくれた彼の家は浸水はしたが被害はこのあたりでは最小限に食い止められたらしい。すぐ側の川を伝って色々なものが流されて押し寄せたようだが,コンクリートブロックの塀が瓦礫を防いでくれたという。彼からは,友人の情報の他,行方不明者がまだいるらしいとか,亡くなった人についての話などを聞くことが出来た。
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住所を聞いて,友人が身を寄せている家に急いだが,なだらかな上り坂は自転車ではなかなかきつい。
訪ねて家の中に入ると彼は立って迎えにでようとした。玄関には車いすがある。そのままでいいと促すと,彼はその場で立ってにこやかに迎えてくれた。彼と会うのは何十年ぶりだろうか。
彼は色々と語った。一番話が長かったのが自分がライフワークとして取り組んできた野田村の歴史についてだった。平成17年には,彼が書いた「野田人家録1」が贈られてきた。中には私の祖父や父の名前もあり,よくまあここまで調べたものだと感心したことがある。私よりも私の家の歴史についてよく知っている。
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彼はその続きを書き続けていたようだが,この震災で家もろともに一切を失った。
「記録した6本のUSBが無くなったのが一番悔しい」
家はまた出来るかも知れない。しかし,記録したものも,資料も,再構築することは難しい。
「なに,死ぬまでにはあと30年ある。もう一回作り直せばいい。」
私が能天気な言い方をすると。
「そうだな,うん,そうするか」
心の中では,おいおい,そんな簡単なものではないんだよ。お前は何も分かっていないなあと,呆れていたのだろうと思うが,それは包み隠して笑顔で彼は言った。昔は,議論白熱すると顔を赤らめて話す彼が,学者然として落ち着いた様子だったのが何とも不思議だ。
彼は自分の体の具合もあり,隣の久慈市に一軒家を借りて引っ越すと言う。医師をしているご子息の助言によるものだろうか。

親戚でもある友人とは残念ながら会えなかった。村でもかなりの発言力を持っていると聞いたが,今度の津波で家どころが実の兄を失った。友人の家は彼の兄と隣同士で,十府ヶ浦か見渡せる海岸沿いにあった。彼の兄は一度は逃げたが,近くの足が不自由な人を助けようと戻ってそのまま津波に飲み込まれたということだ。
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このことについては,3月31日付け毎日新聞の記事に載っていると,東京に住む高校の同級生から教えてもらった。彼女からは毎日新聞の記事のコピーも送られてきて,今までみんなが「ちゅうさん」と呼んでいた名前が「中(ただし)」であったことを初めて知った。中さんの弟である友人にきつく叱られそうな気がする。
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http://www.imagegateway.net/p?p=HUmyaSAaSv8&t=ICw
http://www008.upp.so-net.ne.jp/bunkoh/
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