ふるさとのお盆 [シルバーウィングでGO]
今年は、久しぶりにお盆に田舎に帰ることにした。近頃は親類の結婚式や葬式など特別な場合だったが、お盆に帰省するのは何年ぶりだろうか。しかも、今回は下のむすめと婿殿が我がお袋様に会いたいというので、むすめ夫婦と一緒だ。加えて、柴犬のマルコも一緒である。8泊という期間を考えると、連れて行くしかない。なにしろ、ペットホテルに入れると、全く餌を食べなくなってしまう。
帰省には車を使うことにした。高速料金が土曜休日は1000円、平日でもお盆期間は同様と言いうことなので4人での移動は車がお得なのである。新幹線での移動では4人で片道6万5千円ほどかかるが、車なら、1万円もかからない。同じことを考える人が多いはずだから、今年は渋滞がすごいことになりそうである。
帰省は9日の日曜日である。この日は東北道は既に渋滞が始まっており、宇都宮あたりは30キロぐらい渋滞しそうだった。そこで思い切って郡山までは常磐自動車道で迂回する方法を採った。合流する郡山で少し渋滞にはなったが、車は概ね順調に走ってくれた。
岩手は夏だというのに、気温が低かった。20度そこそこで、どんよりとした空から時折小雨も降っていた。しかし、岩手の山並は雨にもかかわらず美しい。右に見えるのは姫神山、左の岩手富士は残念ながら雲の中である。
お袋様は元気だった。この12月に86歳になるが、今でも自転車で近くを走っているらしい。
「このあたりの人はみんな、私のようになりたいと言うんだよ」
我がお袋様は益々意気軒昂である。
着いた夜は、妹や兄の息子なども加わって、歓迎の宴を開いてくれた。婿どもの疲れているようではあったが、酒量はかなり進んだようである。
翌日と翌々日はむすめ夫婦を連れてあちこち見て回った。岩泉の竜泉洞や三陸の海岸はなかなかの見物である。ただ、ガスがかかって北山崎海岸の素晴らしい景観をお見せ出来なかったのは心残りであった。その代わり、鵜の巣断崖や小袖海岸の釣り鐘洞などを見て回った。こちらは、天気も良く素晴らしい眺めを堪能出来た。
仕事の都合でむすめ夫婦は12日に帰京しなければならないので、その前日、兄の家で歓迎の夕食会が開かれた。お袋様のほか、兄の子どもや孫を入れると15人が食卓を囲む。食卓の上には生ウニの瓶がずらりと並んだ。あまりの量に婿殿はびっくり。「一生分のウニを食べました」と言っていたが、まさにそうかもしれない。どんぶり飯の上に惜しげもなく生ウニを載せて食べる「ウニ丼」は、人によってはそのまま、人によってはわずかの醤油を垂らして食べるのだが、いずれにしても絶品と言っていい。地元の人間だってこんなに贅沢な食べ方はそうは出来ないはずである。
岩手の自然や味覚を満喫出来たかどうかやや不安はあるが、むすめ夫婦は12日に新幹線で帰京した。
13日からはいよいよお盆である。夕方、一室にご先祖様の御霊を祭る祭壇をしつらえる。祭壇には西瓜やバナナ、桃、梨、葡萄などの果物や野菜を載せる。祭壇の両脇には回り灯籠などを飾る。そして、薄暗くなった頃、迎え火をつける。このあたりでは迎え火のことを松灯(まつあかし)と言い、松の根っこを燃やす。この火をたよりにご先祖様の御霊がやってくるということなのだろう。
もしかすると「迷信」という人がいるかもしれない。確かに科学的ではないが、昔からの習わしであり、生活の一部になっている。いわば心のふるさとであり、これからもずっと受け継がれていくことだろう。
しかし、そうは言っても、ここのお盆の行事をこなすのは大変だ。14日の朝には先ずお墓参りをする。墓参りが終わったらそのままお寺参りだ。寺参りが終わって自宅に帰ってきたら祭壇に食事を載せて拝む。夕方、お墓に行ってまた松灯(まつあかし)として、松の根っこを燃やす。さらに、自宅に帰って、薄暗くなる頃合いに自宅の入り口でまた「松灯(まつあかし)」を燃やすのである。
このようなサイクルを三日間続けるのはかなり大変である。理屈から言うと、既に13日にご先祖様の御霊を迎えているはずなのだから、お墓参りやお寺参りをする必要はないはずで、16日の送り火だけでいいはずである。おそらくはそのような土地が多いだろう。しかし、ここではそうではない。なぜか、三日間、お墓参りとお寺参りが続くのである。
この土地の人も、迎え火と送り火の意味はよく知っている。しかし、習わしとは理屈ではない。
ともあれ、むすめ夫婦が帰ったあとは、迎え火から送り火までの仕事を兄と共に無事に済ませることが出来た。送り火を焚いた時には我がお袋様と我が山の神が花火に興じるというおまけも付いていた。その写真はたっぷりと撮影した。
久しぶりの「お盆」はあっという間だった。「ほんと、時間がとっても短く感じたわ」と、我が山の神も同じ印象だったらしい。
お袋様と愛犬のジローちゃんに見送られ、ストリームに乗り込む。ストリームにはお袋様や兄、妹からいただいた土産が満載である。もちろん、マルコも同乗している。
「またおいで」と我がお袋様。
我がお袋様は、我が山の神の働きぶりにたいそう感謝しているようだった。
「また来ます」と我が山の神。笑顔は満載のお土産のためだけではなかったような気がする。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/bunkoh/
帰省には車を使うことにした。高速料金が土曜休日は1000円、平日でもお盆期間は同様と言いうことなので4人での移動は車がお得なのである。新幹線での移動では4人で片道6万5千円ほどかかるが、車なら、1万円もかからない。同じことを考える人が多いはずだから、今年は渋滞がすごいことになりそうである。
帰省は9日の日曜日である。この日は東北道は既に渋滞が始まっており、宇都宮あたりは30キロぐらい渋滞しそうだった。そこで思い切って郡山までは常磐自動車道で迂回する方法を採った。合流する郡山で少し渋滞にはなったが、車は概ね順調に走ってくれた。
岩手は夏だというのに、気温が低かった。20度そこそこで、どんよりとした空から時折小雨も降っていた。しかし、岩手の山並は雨にもかかわらず美しい。右に見えるのは姫神山、左の岩手富士は残念ながら雲の中である。
お袋様は元気だった。この12月に86歳になるが、今でも自転車で近くを走っているらしい。
「このあたりの人はみんな、私のようになりたいと言うんだよ」
我がお袋様は益々意気軒昂である。
着いた夜は、妹や兄の息子なども加わって、歓迎の宴を開いてくれた。婿どもの疲れているようではあったが、酒量はかなり進んだようである。
翌日と翌々日はむすめ夫婦を連れてあちこち見て回った。岩泉の竜泉洞や三陸の海岸はなかなかの見物である。ただ、ガスがかかって北山崎海岸の素晴らしい景観をお見せ出来なかったのは心残りであった。その代わり、鵜の巣断崖や小袖海岸の釣り鐘洞などを見て回った。こちらは、天気も良く素晴らしい眺めを堪能出来た。
仕事の都合でむすめ夫婦は12日に帰京しなければならないので、その前日、兄の家で歓迎の夕食会が開かれた。お袋様のほか、兄の子どもや孫を入れると15人が食卓を囲む。食卓の上には生ウニの瓶がずらりと並んだ。あまりの量に婿殿はびっくり。「一生分のウニを食べました」と言っていたが、まさにそうかもしれない。どんぶり飯の上に惜しげもなく生ウニを載せて食べる「ウニ丼」は、人によってはそのまま、人によってはわずかの醤油を垂らして食べるのだが、いずれにしても絶品と言っていい。地元の人間だってこんなに贅沢な食べ方はそうは出来ないはずである。
岩手の自然や味覚を満喫出来たかどうかやや不安はあるが、むすめ夫婦は12日に新幹線で帰京した。
13日からはいよいよお盆である。夕方、一室にご先祖様の御霊を祭る祭壇をしつらえる。祭壇には西瓜やバナナ、桃、梨、葡萄などの果物や野菜を載せる。祭壇の両脇には回り灯籠などを飾る。そして、薄暗くなった頃、迎え火をつける。このあたりでは迎え火のことを松灯(まつあかし)と言い、松の根っこを燃やす。この火をたよりにご先祖様の御霊がやってくるということなのだろう。
もしかすると「迷信」という人がいるかもしれない。確かに科学的ではないが、昔からの習わしであり、生活の一部になっている。いわば心のふるさとであり、これからもずっと受け継がれていくことだろう。
しかし、そうは言っても、ここのお盆の行事をこなすのは大変だ。14日の朝には先ずお墓参りをする。墓参りが終わったらそのままお寺参りだ。寺参りが終わって自宅に帰ってきたら祭壇に食事を載せて拝む。夕方、お墓に行ってまた松灯(まつあかし)として、松の根っこを燃やす。さらに、自宅に帰って、薄暗くなる頃合いに自宅の入り口でまた「松灯(まつあかし)」を燃やすのである。
このようなサイクルを三日間続けるのはかなり大変である。理屈から言うと、既に13日にご先祖様の御霊を迎えているはずなのだから、お墓参りやお寺参りをする必要はないはずで、16日の送り火だけでいいはずである。おそらくはそのような土地が多いだろう。しかし、ここではそうではない。なぜか、三日間、お墓参りとお寺参りが続くのである。
この土地の人も、迎え火と送り火の意味はよく知っている。しかし、習わしとは理屈ではない。
ともあれ、むすめ夫婦が帰ったあとは、迎え火から送り火までの仕事を兄と共に無事に済ませることが出来た。送り火を焚いた時には我がお袋様と我が山の神が花火に興じるというおまけも付いていた。その写真はたっぷりと撮影した。
久しぶりの「お盆」はあっという間だった。「ほんと、時間がとっても短く感じたわ」と、我が山の神も同じ印象だったらしい。
お袋様と愛犬のジローちゃんに見送られ、ストリームに乗り込む。ストリームにはお袋様や兄、妹からいただいた土産が満載である。もちろん、マルコも同乗している。
「またおいで」と我がお袋様。
我がお袋様は、我が山の神の働きぶりにたいそう感謝しているようだった。
「また来ます」と我が山の神。笑顔は満載のお土産のためだけではなかったような気がする。
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