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whyがwhoに [シルバーウィングでGO]

来年の桜を見る会の中止を菅官房長官が発表した。
官邸から出た安部首相に新聞記者は「なぜ中止したのですか」と質問した。
それに対して安倍晋三首相は「官房長官の説明の通り私が判断しました」と答えた。
これ,かなりとんちんかんなやりとりだ。もしも,誰が?と質問されたのなら,安倍晋三首相の返答でいい。しかし,whyと質問したことに返答はwhoにたいする返答にすり替わっている。ここでも「私が」と言う意識が全面には出ているが,返答は質問にまともに答える内容になっていない。"官房長官の説明の通り"は"私が判断"にかかっていて"私が判断したのは官房長の説明の通りだ"と言う説明になる。whyに対する答えだと強弁するなら,"私が中止を判断した訳は官房長官の言った通りです"と言わなければならない。
菅官房長官が中止を発表したとき,参加者の選考基準の明確化などに触れているから,それを知らないはずはない。安部首相は,何か質問が出たらこう答えてほしいと言われていたことを素直に口に出したのだろう。そうでもなければ質問と返答との食い違いを説明できない。説明できるとすれば,安部首相が記者の質問を理解できなかった可能性しかない。その可能性がなくはないのが日本の不幸だ。
安部首相が自分が決めたのならなぜやめたのか理路整然と,唾を飛ばして説明するだろう。
「先輩首相が1957年から続けてきた桜を見る会であり,私もそれにならって開催してきたが,報道によれば参加者の基準が明確化されてこなかったとも考えられる。そこで,政治の透明性を疑われないように,招待者の基準を明確化することにした。来年度を中止にしたのは基準作りにかなりの日数を要するだろうと思われるからです。」ぐらいなことはすぐに頭に浮かんで来るようでなければ,首相の座を維持することは難しいだろう。
自分で考える習慣を失っていると,whyがwhoになったりするわけだ。
さて,幕引きを図ったわけだが,それは自分たちの公私混同を認めてしまう結果になった。戦後すぐに始まった観桜会を泥にまみれさせた責任を,「正しい姿に戻すのが我々の責任」とうそぶくのだろうなあ。
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