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錆びた太陽 [シルバーウィングでGO]

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恩田陸の錆びた太陽というSF小説を読んでみた。主人公は小柄な女性の財護徳子と言っていいのかそれとも七体のロボットと言っていいのか。徳子は放射能のために人間が住めなくなった居住制限地域に,そこにいるゾンビの調査にやってきた財務省の調査員で,ロボットは徳子の案内や護衛のような役目をすることになる。
ロボットは徳子と意思疎通ができる。蓄積した人間の生活や知識に関する膨大な情報を即座に検索して,会話に生かす事ができる。今までのロボットと違うのはロボットの持つAIに自我があるという設定だ。自分の存在を他者と区別する知性があり,自律的行動が出来るロボットだ。ああ,そうだった。アトムにも自我があった。
AIが苦手とすることもある。人間の五感とか,手持ち無沙汰というような何となく抱く感じなど,人間なら当たり前にいだく感覚はないという設定だ。
感情の違いもある。たとえば将棋の人間同士の対戦なら,勝ちたいと願うし勝てば喜ぶ。一方,AIは設定されたルールに従って駒を動かし目的を達成するだけだ。疲労もしない。しかし,登場するロボットは徳子と一緒に行動するに従って,人間的な感覚が芽生え始める。
小説の設定では,人間に戸籍があるようにロボットにも戸籍があり,ロボット一体一体に人間の人格と同じようにロボットにも「人格」が与えられている。ただし,ロボットは人間に仕えるように決められ,設定され,違反することは許されない。その関係の中で,ロボットと徳子のやりとりが妙に人間的になっていく。
自我とは何かとは,大昔から人間に与えられた最大の問題と言っていいだろう。生まれたばかりの人間に自我はないはずだ。いつから,自分という存在に気がつくのか,恩田陸はロボットを描くことで自我とは何かと言う問題に取り組もうとしているような気がする。
なお,この小説は原発事故の悲惨さと原発の巨大な無駄を強調したい為だろうか,ゾンビなどと言う存在を持ち込んだ。科学的な説明のために全くの非科学を持ち込んだのは感心しない。
いや,待てよ。怜悧な恩田陸がそんなことは百も承知の筈だ。ゾンビはこれから何世代にも渡って原発事故に苦しむ福島の人々をシンボル的に表したのかもしれない。
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